現在は城郭の石積みがない長嶺グスク。
言い伝えでは真玉橋(まだんばし)の建材に使用された可能性があるという。
「グンガチウマチー」「ルクガチウマチー」とは五月・六月の稲の豊作を願う祭事をいう。
現在でも、五月・六月のウマチーの時期には、知念・玉城・南山・首里・今帰仁などの7ヶ所への遥拝(ウトゥシー)が行われている。
長嶺按司の勢力範囲(推定)、金良・長堂・嘉数・真玉橋・根差部
尚金福王(1450~53年)に長嶺按司陵正という人物が、中国の南京で砂糖の製法を習い、これを国中に伝え余った砂糖を日本に売り金銭を得た。
このことから、豊見城は沖縄初めて「黒糖」を作った場所かもしれません!
【長嶺按司に関する逸話(南風原側)】
屋号高港の元祖仲間按司の姫に20歳前後の才色兼備の娘がいた。姫は婚約もはたし、結婚の日を待っていた。しかし、長嶺城の按司が姫を見て嫁に欲しいと言ってきた。仲間按司は「すでに婚約しているのでできない」と断ると、長嶺按司は力を頼りに「もし断るのであれば仲間城を滅ぼす。後日返事をせよ」と脅した。しかし、仲間按司は理不尽な要求に屈せず、戦いを覚悟して臣下とともに長嶺城の軍勢を待っていたが攻めてこなかったので、先に攻めることとした。敵が酒宴をひらくのを待っていた。すると、油断した長嶺按司が国場川で舟遊びをしているのを知り先手を取って攻撃した。両軍は川辺で激しく戦ったが、長嶺按司は破れ馬を走らせ逃げた。その際、追手の目をくらませるために馬を井戸に落とし自害したように見せかけどこかに落ち延びた。一方、仲間按司は自害した長嶺按司の霊を慰めようと、豚を生贄にして祭りを行った。これが「アミシノウガン」の始まりともいわれている。
【長嶺按司に関する逸話(豊見城側)】
長嶺按司は才色兼備で未婚の若按司だった。仲間城の姫と相思相愛になっていたが、仲間城下の若者たちに嫉妬され、綱引きをして長嶺按司がそれを見に来るのを待ち伏せして殺害する計画を立てる。長嶺按司はそうとは知らず少人数で見物に来て、城に帰る際、待ち伏せに会い、反撃はしたものの多勢に無勢で退いて津嘉山橋下流の橋で戦うものの破れ、その追手の目を眩ますために乗っていた馬を井戸に落とし自害したように見せかけ嘉数村の大家に隠れ、名嘉地村の下越路に隠れた。それ以降、津嘉山の人々は長嶺城の近くはセジ高いところとしてお祭りをするようになった。津嘉山では綱引きの前に長嶺城遥拝のアミシヌウガンがあり、豚肉・酒・米などを供えて祈り、各戸に家族と同じ数の肉片を配るようになったと言い伝えがある。
映像提供:FMとよみ
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