沖縄の空手・糸東流は糸洲安恒と東恩納寛量に師事した魔文仁賢和が両師匠の名字から「糸」と「東」をいただき「糸東流」という流派を命名、開祖となった。糸東流の特徴は魔文仁賢和が糸洲安恒から首里手を、東恩納寛量から那覇手を学び、沖縄の古伝空手の二大系統を継承している。
探求熱心な魔文仁賢和はその二大系統以外にも、松村派、新垣派などの修行も修めたが、空手以外でも琉球古武道をも学んだ。魔文仁賢和の異なる派の空手や古武道を自由に学べたことは、空手がまだ「流派」発生以前のことだったから出来たことだと思われる。
やがて開祖を源流として各流派が誕生し、「型」などもそれぞれの流派の「型」が体系化され、その流派の聖典となりお互いの流派を超えて学びあう交流は極端に少なくなっていった。
その反面、先人から受け継いだ人間性、型、鍛練法など、改組の頃に確立された崇高な理念がいたずらに改変される事なく伝統として現在に息づいていることは貴重な存在である。