沖縄空手の流派の誕生には、当然のことながら歴史的背景と時の流れがある。沖縄空手の原型と言われる「手(てぃ)」の時代には流派があろうはずはない。大別して首里手、那覇手、泊手の三つの流れがあり、空手家はそれぞれ修行を重ねていった。
ゆるやかに拘束され区別されている「手」系統の中でも特に優れた修行者の中には、自分が学んでいる先生以外の先生からも学び、あるいは修錬を積み重ねている間に独自の工夫を凝らし、新たな技法や形を追加していく者が現れた。その新たに生み出された技術や合理性、理論などの持つ独自性や優劣さによって新たな流派の誕生となった。
首里手から派生した知花朝信を開祖とする小林流や上地流、剛柔流、その他の流派の開祖の時代に見ることができる。しかし他の芸能や芸術、武道にも一様に見受けられるように本流に比較しても何ら新しい独自性、合理性、理論性も生み出すこともなく、次々と新しい流派を名乗り、限りなく薄く広がりつつあることは、この世界の封建制を打破することとは別に多くの関係者が心を痛め危惧していることの一つである。