沖縄伝統空手古武道
沖縄の古武道を語る時多くは沖縄空手古武道あるいは沖縄古武道と言われ又は表記される。それは沖縄の空手と古武道は常に言われているように「沖縄の空手と古武道は不離一体の関係にある」「沖縄の空手と古武道は車の両輪のようなものだ」と表現されていることに両者の関係を推察することができる。
現に、沖縄の空手家のほとんどは古武道も修行しており、どこの空手道場でも古武道の武具が備えられているほどである。
沖縄の空手も古武道も術を習得する前の体の鍛錬に用いる道具としてはサンチンカ―ミーとかチーシーなど全く同じ道具が使用されている。
原始的な闘争術として進化論的に考察すれば最初は素手での殴り合い、取っ組み合いであったろうし、その後に道具を用いることは想像に難くない。しかし沖縄の古武道で使われている武具としては棒、コン、エーク(櫂)、鎌など生活の中で日常的に使われていた物を武具として使われている事から、その発祥はほとんど同じ時期であろう。
沖縄古武道の中で最も一般的に使用されているのは棒である。棒には三尺、五尺、六尺と長さのちがう棒が使用されているが、普通棒術といえば六尺棒のことである。
変幻自在に変化攻撃してくる六尺棒術はその破壊力やスピード等において最も恐れられている。
他流試合は常に真剣勝負にこだわっていたあの本部朝期も語っている。
「私は多くの格闘技と戦ってきたが、最も怖かったのは棒術であった
あの棒の伸縮自在さ、スピードは恐ろしくさえあった、なぜなら一直線に伸び縮みして来るスピードに対し、間合いの取りようが難しく厄介だった」と述べている。
沖縄伝統古武道と地方への伝播
古武道の中でも最も普及しているのは棒術である。
歴史的には空手同様首里の武士階級の間で、一子相伝の秘術であった古武道が廃藩置県によって貴族が職を失い首里を追われそれぞれ田舎に都落ちしていかざるを得なかった。
現在でも沖縄本島北部の田舎に多いヤードイ(宿取り?)と呼ばれる集落が農村でも平野部ではなく、はるかに険しい山間部に新しく開墾された小さな村がある。
その集落は都落ちしてきた首里の武士階級の人達が古くから農民の生活している場所から離れた所有者の居ない荒地を開墾して創り、新しい集落を作り、移住した集落である。
農業などの経験など全くない武士達が荒地を開墾して新しい集落を作り、生活を営んでいくのだからその苦労は精神的に肉体的に想像を絶するものがあったと思われる。彼らはそれまで学んできた学問や武術、あるいは踊などを貧しいながらも人口の多い旧村落に行き教え伝え生活の糧にしていたと伝えられている。
現在も中部以北の村々に伝わる棒術が「村棒」と呼ばれ現在しているのもその歴史の証左だと思われる。
現在その村棒と呼ばれる棒術は戦う武士の装束をした二人、あるいは3人で互いに相戦う勇壮な催しの一つとして村の祭りには欠かせない演目となっている。
代表的な棒術(棒踊り)としては
読谷村宇座の山内棒、前田棒、佐久川の棍、周氏の棍、浦添の棒、北谷屋良の棍、瀬底の棍、添石の棍、米川の棍などがある。
特に秋の豊年祭(旧暦8月15日)には、集団演武も含め村中の人々が集まり振わったと記録されている。
村落の中央広場で演じられる棒術は村の発展や子孫繁栄の豊年満作の祈願と感謝の念が込められていた一大行事であった。
民俗芸能研究の第一人者であった當間一郎氏は「今日各地祭などで古くから盛んに演じられてきた。村によっての棒の演武は棒術あるいは棒踊といわれ人気を博してきた」とかたっている。
参考資料
− 沖縄空手古武道辞典(高宮城繁、新里勝彦、仲本政博、編著)
− 沖縄伝統古武道(仲本政博)
− 沖縄空手道の歴史(新垣清)
− 沖縄空手道「手」(苛原耕栄)