「唐手」が「空手」の文字になり一般に広まっていくのはそれから24年後の1929年(昭和4年)、慶応義塾大学唐手研究会が発行した機関紙による功績が大きい。その頃の慶応義塾大学唐手研究会の師範をしていたのは船越義珍で、その機関紙でそれまで散発的に用いられてきた「空手」を般若心経の「空」の概念から「唐手」を「空手」に改めると発表したのを機に、広く一般化していった。
その後沖縄でも1936年(昭和11年)10月25日、那覇市で琉球新報主催による「空手大家座談会」において「唐手」から「空手」に改称することが決議され、以後の表記が全て「空手」となった。
こ※琉球新報の2006年9月23日の記事によると、まぼろしの記事と言われていた「空手大家座談会」の記事が沖縄公文書館で見つかったとのニュースが伝えられている。