戦国時代の武士道
家柄も高く、鎧兜に身を包み、騎乗のリーダーとして「やぁやぁ、我こそは武田家の侍大将の○○○なるぞ。いざ神妙に勝負!!」と名乗りを上げている侍大将が武士道の鑑ごとき『宣戦布告』をしている最中に、しかもその『宣誓布告』が終わらないうちに「パンッ」。 名もない足軽の放った弾丸一発が、何世代も続いた武士道を生きてきた武士の鑑たる大将の煌びやかな鎧を打ち抜き、戦いの勝敗を決めてしまった。
武士道の価値観を根底からひっくり返してしまったのが、織田信長と武田信玄の息子、勝頼との決戦である。 新たな殺傷能力が高く、しかも剣道のように長年の修業を必要としない鉄砲の出現により、これまで日本社会の主軸として築き上げられてきた武士と武士道というリーダー階層の人間とそれを支えてきた理念・形・プライドは一発の弾丸でけし飛んでしまった。
織田信長の与えた衝撃
しかし営々と築き上げられた日本の社会構造と盤石な理念の元に練り上げられて定着した人間の内的な誇りや信条、己の人生を支えてきた精神世界の支柱が一発の弾丸ごときで粉々に吹き飛ぶものだろうか? もしもその大将を打ち抜いた弾丸を撃ったのが足軽ではなく、同じ階級の武士であったなら? 同じ武士道を誇り高く生きてきた武士ならば、正々堂々と宣戦布告をしている気高い武士の化身のような大将の胸に遠くから弾丸を撃ち込むことは到底ありえないことであろう。その役を足軽部隊に命令し、なんの躊躇もなく引き金を引かせた男が時代を変えたのだ。 格式高く、何人たりとも跪いた『伝統』という魔物に一人で対峙しそれを蹴散らす度量を持った男・織田信長の登場である。
伝統を否定し、斬新な思考を徹底して実行に移していった織田信長は、歴史を変えるような革命家であり、彼を現代に甦らせても尚、立派な革命家であり得るだろうことは多くの歴史家が表明している。 その当時、「武士の風上にも置けぬひきょう者」や「うつけ者」と言われながら、平然と自分の信念を貫き通した織田信長の存在が、日本の形も精神構造も全てを変えたのだ。