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シーサーロード

2016.06.27

2017.09.21

ヘッダー_シーサーロード

 

<第一章>

<第二章>

<第三章>

<第四章>

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シーサーとは、沖縄各地で見られる魔よけの獅子像のことで、石製や木製、陶製など様々なものがあります。
元々シーサーは権威の象徴でしたが、長い年月の中、沖縄の風土や習慣、民族性などが合わさり、権威の象徴の他、家や人、集落などに災いをもたらす悪霊を追い払う守り神・魔除けの神として、また除災招福を導くものとして、建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられるようになったのです。よく見られる陶器のシーサーは元々、瓦職人が瓦を作った後、その残りの漆喰(屋根材)を使い作っていました。最近では陶器でできたシーサーの他、木彫りや漆喰のものなど、オリジナリティーあふれた個性豊かなシーサーが色々なところで見られます。

<シーサーとは?>

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魔除けの獅子像であるシーサー。
悪霊返しや火伏せといった魔除け・まじない的なものから、その家の権威の象徴としてのもの、装飾的なものとシーサー を据える目的は様々。
17世紀後半、沖縄本島南部に位置する、東風平町富盛の集落では、たびたび起こる火事に悩まされており、石造りのシーサーを作り奉ったところ、火難から逃れ火災が起きなくなったといわれ、現在でも富盛集落の守り神として鎮座しています。

<シーサーのルーツ>

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シーサーのルーツは、エジプトのスフィンクスが起源ではないかと言われています。西暦2世紀頃、エジプトから中近東、シルクロードを経由して中国に入り、中国との交流が盛んになった14~15世紀頃に、琉球に伝わったのではないかと考えられています。シーサーは寺社の門前や城門、御嶽、集落の出入り口などにありましたが、明治以降、瓦葺屋根が建築が盛んになるにつれ、屋根にシーサーを据え、魔除けとする習慣が一般に浸透していったといわれています。

<シーサーの据え付け>

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シーサーを東北の方角に向ければ、暴風の災難を除き、南の方角に向ければ火伏せになるといわれています。
シーサーを据える形式には二通りあり、一つは城門や神社の屋根や門前に対で据えるタイプ。もう一つは屋根獅子のように単体で据えるものに分かれます。
一般的に、対で飾ることが多く、口の開いたシーサーを向かって右側に、口の閉じたシーサーを向かって左側に据え付けます。口の開いたシーサーはメスで、福を招き入れるもの。口を閉じたシーサーはオスで、あらゆる災難を追い払うものとされています。口の開閉は、仏教思想の影響からか、宇宙の始まりと終わりを表す「阿吽」の形態からきているという説があります。現在では、平面にした面シーサーを壁に多数並べて据え付けたり、大きさの違うシーサーを据えたりするなど、自由な据え付け方が色々な場所で見られます。

<獅子舞と魔除け>

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沖縄各地で親しまれているシーサー文化。しかしそれだけではありません。沖縄各地にはシーサーと同じように獅子を模した芸能「獅子舞」があります。
獅子舞は中国から伝わったものだといわれており、通常、旧暦6月から8月の豊年祭や旧盆の行事で演じられます。
沖縄には、シーサーのように獅子を霊獣と考える民間信仰があり、その力によって災厄や悪霊をはらうことができると昔から信じられていました。獅子舞は、集落を災厄から守り、それと共に集落の発展や子孫繁栄を祈願する踊りだといわれています。
沖縄本島や周辺離島では1頭、宮古・八重山地方では雌雄2頭による獅子舞が行われます。銅鑼や太鼓、笛、ほら貝などの伴奏で獅子を誘い出し、誘われた獅子が勇壮かつ大胆な演舞で、魔を祓います。

5000年の旅人「シーサーのルーツを訪ねて」

沖縄の人気者「シーサー」はいつ何処から来たのか?
私達沖縄映像センターでは3年に1度沖縄の文化のルーツを訪ねるドキュメンタリー番組制作を続けてきました。
前回は沖縄の「シーサー」のルーツを訪ねて遥か中国のシルクロードの奥、ウルムチ、トルファンまで撮影にでかけました。福州・南京・北京・敦煌・ウルムチ・トルファンと取材を続け2時間番組に仕上げ沖縄の民放放送でTV放映することが出来ました。
諸説ある中で沖縄の「シーサー」の原点はエジプトのスフィンクスだという説が有力のようで、私達取材クルーは中国のシーサー研究において第一人者である福建師範大学の牛教授の監修を戴き遥かなシルクロードを福県省国際旅行社との合作映画として共に取材をしました。
まず沖縄から福州を取材して18日間の取材行でした。あの三蔵法師が孫悟空を連れて妖怪たちと戦いながらインドを目指したと言われている天山山脈のふもとにたどり着き、5000メートル超の万年雪を戴いた山々が遥かな地平のかなたの空高く連なる荘厳な世界を眺めた時は、さすがに感無量でした、沖縄の『シーサー』は、あの山並みの彼方からやって来たのだと再確認し第一回目の取材旅行を終わりました。(シーサーのモデルのライオンは中国大陸には棲息して居なかった)。
沖縄からの16名の取材クルーは、神々しいまでに砂漠の太陽の下で白く輝き続ける霊峰に向かい「続編はあの山々を超えアフガニスタンへ入り、ウズべキスタンからトルコ、イラン、ギリシャを経て、我らが『シーサー』の故郷エジプトまで行こう!!」と誓いあった。
牛教授も「ライオンの棲息していない中国で獅子(ライオン)文化が初めて確認出来るのは{紀元前10年、ペルシャの王から中国の大王へ生きたライオンが送られたと記録された古い文献です」と説明する。
沖縄のシーサの原点と言われるライオン文化がアフガニスタンを中心にガンダーラ文明の中でどのように育まれ形創られ天山山脈を超えシルクロードへ伝わって来たのか?。 シーサーの旅した道を検証するにはどうしてもアフガニスタンを訪ねなくてはならない、しかし何回チャレンジしてもアフガニスタンへの取材許可が下りない。それが2006年8月に新疆ウィグル地区から15名(孤児)達がが沖縄を訪れる事になり沖縄映像センターも協力出来た縁で07年8月にアフガニスタンのシーサーロードの調査に行ける事になりました。
私達沖縄映像センターは、現在アフガニスタン以西のライオン文化(シーサー文化)に付いての資料や情報収集に一生懸命です。皆さんのうちで何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひともご協力をお願い致します。どこどこでライオン像を見たとか本とかあるいは耳よりな話を聞いたとかなんでもよろしいですので一報をお待ちしております。またこの企画に興味をお持ちの方の為にも私達が取材を通して得た映像や情報を順次ご紹介して行きますので宜しくお願い致します。

沖縄映像センタ-『シーサーロード』取材チーム。

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