空手

第1回さまよえる「手」(Tiy)

2018.02.23

2020.07.15

空手の原点は、琉球の「手」(Tiy)にある。グスク時代の戦いの殺人技として誕生した「手」(Tiy)は、平和な琉球王朝時代になって活人技となり、日本全土に伝播して「空手」と呼ばれるようになる。やがて、世界に伝播した空手はそれぞれの国の価値観や文化の違いによって多様化した世界のKARATEとなり、一人歩きを始めている。
「手」(Tiy)よ、「空手」よ、いったい君はどこに向かって歩もうというのか——。
 

 空手の将来に対し、危惧を抱く 
琉球王国形成の歴史的背景を礎として沖縄で生まれ、発展を遂げ、確立された沖縄空手「手」(Tiy)は日本全土に伝播して「空手」となり、今や世界150ヶ国、5000万人とも言われる空手人口を抱えるまでに普及している。

今後もその拡大の勢は続くと考えられるが、このように空手の「国際化」が急速に進む中で、空手に対する認識は、本来の伝統的なものから大きく変化してきていることも事実である。端的に言えば、元来は琉球のグスク時代における戦いの必殺技である「武術」として誕生した空手「手」(Tiy)は、長い歴史のなかで殺人技から活人技へと発展を遂げ、さらに心身の鍛錬・修養・礼法を目的とする「武道」として確立された。が、戦後急速に国際化するに伴って、今や単なる「スポーツ・競技・ゲーム」のように考えられるようになり、勝敗にのみこだわる競技へと変化してきている状況が見られる。このような現状に照らすとき、空手の将来に対しては大きな危惧を抱く空手家も少なくない。

こうした空手の変遷は、文化人類学の視点から見れば、ある社会の文化的伝統が他の社会に伝播し受け入れられていく過程で、技そのものの体系や技に対する認識、その技を磨くことの意義等についての考え方・価値観が、それを受け入れる社会の人々の価値観や競技概念等の枠組みによって変容させられていく現象として、非常に興味のある問題である。

特にこの問題は今日、空手をオリンピック競技種目に導入することの是非をめぐる議論の中に最も象徴的に顕在化しているということができる。

 微妙なズレが表面化 

かつて、日本古来の武術として発展を遂げた格闘技「柔道」が日本で確立され普及し、ついには国際的に認められ、オリンピック競技として人気を呼ぶようになった「柔道の国際化」の過程で、勝負判定における審判基準と能力、「技」に対する日本の伝統に基礎付けられた認識に関する微妙なズレが次第に表面化し、問題化しつつある。「点数制」によって勝負を判定するという西洋的尺度が、「後の先」や「肉を切らして骨を切る」という東洋の思想に基づく柔道の技そのものの質にまで微妙に影響を与えるようになってきている。

このような現象は、端的に「伝統と時代」の葛藤といってもよいであろう。世界的視点から見れば、日本古来の「伝統的武道」が「現代的スポーツ」として世界的に普及していく国際化の過程で不可避的な現象であろう。しかし、その一方で、沖縄・日本の視点から見れば、伝統的武道の持つ厳しい自己鍛錬・修養といった人間の肉体だけでなく精神を鍛えるという目的・意義が次第に気薄化し、競技種目としてのスポーツの持つ娯楽性と勝敗にこだわる嗜好性がより濃厚になっていくことに対して疑問と危惧の念を抱き、危機感を持たざるをえないということも事実である。ここに於いては、空手に限らず日本の伝統文化と言われる全てに当てはまる、伝統と現代の葛藤、文化的ナショナリズムとインターナショナリズムの葛藤の姿が看取される。

 そもそも、空手道とは何か? 

現在、空手のオリンピック競技種目入りの是非を巡っては、日本だけでなく、世界の空手界において賛否両論の激しい意見の対立が生じている。しかし、ここで注目されるのは、この問題に関する意見の対立が、空手道の根幹に対する認識の相違に根ざすものであり、そこから、そもそも「空手道とはいったい何か」という空手道の本質論にまで迫る議論が活発化していることである。空手の歴史を振り返ってみるとき、実はこのような空手道に対する考え方の相違をめぐる議論は今に始まった事ではなく、空手が沖縄に誕生し、沖縄から日本全土に伝播し紹介された後、本土に於いて空手を競技用に改良していった昭和30年代頃から多くの沖縄の空手家がこのような「変化」を危惧していたことであった。空手の本質論について十分な議論がなされないまま、量的拡大が世界に向けてなされた結果、現状に至っているのである。従って、沖縄空手の立場から言えば「空手とは何か」をめぐる議論は、古くて新しい課題だということになる。

 文化変容の問題 

空手の国際化に伴う技の変化や空手とはなにかをめぐる本質論等と合わせて、空手の源流である「手」(Tiy)が18世紀になって「唐手」(Tudiy)と呼ばれるようになり、20世紀初頭に日本全土に渡って、「空手」と称変更をおこなったように、沖縄伝統空手「手」(Tiy)を文化人類学で言うところの「文化伝播」にかかわる「文化変容」、最近の用語でいえば「トランスカルチュラリズム」の問題として、究明していくことも重要である。

沖縄空手が現在国際的にどのように受け入れられ、どのように変化しつつあるかという問題に焦点を当て、空手を教える指導者や空手を学ぶ外国人が空手をどのようなものとして認識し、またどのような空手を将来に期待しているのか、特にオリンピック競技種目に参加することに集約されている空手の国際化の問題についてどのように考えているかをできるだけ客観的に分析することは、「手」(Tiy)を語る上で欠かせないことである。

 
「手」(Tiy)は、琉球のグスク(城)の戦いの中から生まれた。グスクの戦いの中で生き残ったのは、中山王の首里城であった。首里城は琉球国のシンボルであり、「手」(Tiy)のシンボルでもある。
 
 考察のポイントは2点 

世界の空手は今、空手の本質論を真剣に検討すべく重要な時期にきている。そのような状況にあって、空手の源流である沖縄空手「手」(Tiy)とは何かを語らずに空手の本質論を語る事はできないと考える。そのため、本論はまず空手の源流である沖縄空手がどのようにして興り、どのような変化発展を遂げたのか——その歴史を跡づけながら、空手の本質的特徴を検証することから出発し、次にそれが国際化する時代を迎えて、どのような変化を生じていったかをいくつかの視点から考察し、最後にそうした考察を踏まえてこれからの空手の真のあるべき姿とはなにかについて筆者なりの考え方を述べるとともに、今後に残された課題と展望について述べることとする。特に本稿における考察のポイントは、次の2点に集約される。

空手の本源である沖縄空手を、文化性・武道性・国際性という三つの視点から捉え、空手とは何か、その本質を明らかにすることによって「手」(Tiy)の変容を考える。
空手の本源である「手」(Tiy)についての歴史的変遷を辿りながら、伝統空手と競技空手、武道空手とスポーツ空手の差異を明確にすることによって空手のあるべき姿を考察する。
これらのことを踏まえて、沖縄空手が世界のKARATEに果たす役割、沖縄伝統空手家の債務等について、筆者なりの見解と提言を述べていくことにする。

 野村耕栄(のはら・こうえい) 

沖縄県出身。少年時代より、喜屋武首里手を父・薫から学ぶ。大学時代に一時期、上地流にも入門。その後、首里手小林流を学び、現在小林流範士九段。1982年沖縄空手道少林流竜球館空手古武道連盟を設立。1985年全琉実践空手道協会設立。1992年より毎年6月沖縄県において、「全琉空手古武道選手権大会」を、2002年より毎年11月にカルフォルニアにおいて、「US-Okinawa Karate Kobudo Open Tournament」を、2006年より毎年4月ロンドンにおいて、「EU-Okinawa Karete Kobudo Open Tournament」を主催・開催。東京世田谷道場、埼玉大宮道場に支部道場を有す。詳細は、「竜球館」webサイトからアクセス。早稲田大学大学院博士後期課程スポーツ人類学研究科在学中。

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